TOEIC、英検、英会話、英語の学習法紹介
TOEIC、英検、英会話、英語の学習法紹介
英会話ができるようになる。TOEICで高得点を取る。それは多くの人があこがれることです。
しかしその目標を達成できるのはほんの一部です。幸運にも自分は英会話ができると言えるようになりましたし、TOEIC935、英検1級を達成することができました。
英語、英会話の学習法、TOEICや英検の攻略法、英会話教材の選び方などを紹介いたします。
シアトル日記
この語学研修日記は2001/02/24〜2001/03/10のシアトル大学ELSへの語学研修について書いてます。

2001/02/24 Saturday

やっと我が大学の遅い期末試験も終わり、春休みになった。そしてボクはすぐにアメリカに飛ぶことになった。普通ホームステイというのは、ホストファミリーにあらかじめ「よろしくお願いします」メールを 送っておくものなのだが、ボクの申し込みが遅かったせいか、3日前にホストを知らされたので、急いで手紙を書いた。ショーン(オーストラリア人の友達)が「2,3日で届くだろう」言ってたから 大丈夫だろうと思った。

成田エクスプレスで、成田空港に到着。チェックインを済ませ、3万円をドルに換え(今思うと2週間にはちょうどよい額だった)、 アメリカンエアラインに乗り込む。申し込んだとき、旅行担当の生協の人がいろんな学生と行くと言っていたが、まったくほかの学生とは会わなかった。

機内では各自液晶スクリーンが与えられ、映画やゲームを楽しむことが出来るのだがゲームがわけわからんゲームなので本を読んで寝た(ヴァージェンアトランティックは マリオワールドとかF-Zeroとかあったのに)。ゲームのコントローラをしまうのに苦労してた、となりお姉さんと会話をしてたらついにシアトルに着いた。

2001/02/25 Sunday

空港に到着して、入国手続きをした。一応、観光ビザでの入国なので目的は「観光」と答え入国。ほんとは「学生ビザのいらない留学」と答えるそうなのだが、そんなものは 面倒なので「観光」にしといた。

出迎えサービスをあらかじめ頼んでおいたので、出迎えの人々を探すとELSの看板をもったおばさんがいたのでそこの集団に加わった。よく周りの人を見ると実は飛行機で周りに いた人々だった。しかも飛行機で会話したお姉さんも、ELSの生徒だった。

真横に動くエレベーター(ちょっとびっくりした)にのり、車乗り場まで到着、車に乗り込み、ドライバーのおじちゃんと会話を楽しみながら、ホストの家に到着。

中からセシル(ホストマザー)が出てきて、出迎えてくれた。そこまで何ともなかったのだが、家に入って, 旅行会社が送ってきたホストの情報と かなり違うのでびっくりした。ペットはいないといっていたが、かわいいワンちゃんがいるし(ボクは犬大好きだから良かったけど、犬が嫌いな方はどうなるんでしょう?まぁホームステイ先はあとでかえることも出来るのご安心を。)、家族はセシルと息子のマテュー、ニコルだけだと書いてあったが、グランド マザー、セシルのボーイフレンドのジェフ、セシルの兄のアランがいたのでびっくり、まぁとてもにぎやかな家だった。しかも留学生が俺のほかに3人もいた。

セシルに日本の土産の金色の扇子をあげたらとても喜んでくれた。しかしボクはとても疲れていたので、ちょっと会話をして、昼寝をした。

起きたら6時ごろだった。インドネシア人の留学生ダニエルと一緒に晩御飯を食べた。とってもアメリカンなステーキだった。そしてまた寝た。

2001/02/26 Monday

朝6時に起きて、日本人の留学生のたけしさんとよしさんにあった。2人は土日を利用してカナダに行っていて、昨日戻ってきたようだ。

朝食を食べ、外に出るとすごい寒くて、路面も凍っていた。冬のシアトルは厚手のコートが必要だ。そしてセシルにバス停まで送ってもらい、たけしさん、よしさん、ダニエルと 一緒にバスに乗り込んだ。なんとそのバスは2両編成だった。高速を抜け、シアトルに到着。しっかし、アメリカの高速は素晴らしい。ただでのれるし 、2人以上の車だけが通れる特別車線がありカープールを奨励している、また車線も片側6車線ぐらいあった。

シアトルのバスも素晴らしかった。郊外から高速に乗って40分ほど乗っても1.75ドルだし、2時間以内なら乗り換えは何回でも無料。しかもダウンタウンではどこに行こうと、何回乗り換えようとまったくのタダ!横浜市も見習ってほしいものだ。

ELSに到着し、暖炉の前でくつろいでいると、たけしさんやよしさんの友達が集まってきた、ほとんどが日本人だった。やっぱり日本語を 少しはしゃべらないとけっこうストレスがたまるようだ。思ったより大学生が少なく、大卒してすぐきた人や、仕事をやめてきた人などさまざまな 人がいた。

そして今日は、レベルチェックテストの日だ。テストはインタビュー、文法、作文と3つに分かれていた。ボクの感じだと多分インタビューでほとんどが 決まる気がする。これから行く人は会話の練習をしとこう!インタビューと行っても、アメリカに来たのは初めてか?とか好きな食べ物は何?とか簡単なものだった。 そのあと、朝知り合った人々と一緒に食堂で昼食を食べた。台湾からきたジャスティンも一緒だったので会話は英語だった。そのあと大学施設を案内してもらった。 そのあと朝知り合った、まこちゃんに大学の寮に案内してもらった。寮はかなり4人共同部屋だったけど、立派な寮だった。 帰宅。

夜、マテュ−、よしさん、たけしさんらと64のマリオテニスを楽しんだ。テニスのルールを知らんボクは適当にやったから、かなりダブルスのチームメイト に迷惑をかけまくった。野球しか知らないボクは、曲がるサーブを 「スライダー」(発音はばっちりです)といってマテューに「野球じゃねぇよ!」って笑われてしまった。しかしマテューというのが面白い ヤツで、かなり盛り上がった。

2001/02/27 Tuesday

昨日のように朝起きて、シャワーを浴び登校。今日はクラス発表だった。なぜか、NOVAではちょっと上ぐらいのクラスなのに、ボクは109という一番上のクラスだった。しかも4クラスとも 先生がライアンという同じ先生だった(まぁでもライアンはいい先生だったよ)。

昨日のように朝暖炉の前で日本人の友達とだべった後、いよいよ授業開始、1,2時間目はEuthanasia(安楽死)の授業という、いきなり暗いテーマかと思われたが。先生のライアンが とても面白い人でクラスメートもいい人ばかりでとても楽しい授業で、みんな自分の意見を出し合った。クラスメートは南米、台湾、韓国、スイス、サウジアラビア、日本とさまざまな国から来た 約10人だった。

3時間目はSpeechのクラス、4時間目はCurrent Eventsといって最近起きたニュースについて話し合うというクラスだった。両方ともこの日は説明がメインだった。

午後はボクはセミインテンシヴという午前中だけのクラスだったので、同じセミインテンシヴの友達とビリヤードをやった。なんとシアトル大学のELSには地下にビリヤード場があり、 いくらやっても無料なのだ。ジムもあって無料で使えたのだが、ちょっと遠かったので行かなかった。

また夜は、宿題をやった後、例のごとくマリオテニスを楽しんだ。自称元ゲ−マーのボクはだいぶ上達し、テニスのルールもわかってきた。しかし反射神経の鈍さは 相変わらずで、前衛の時はまったく攻撃に参加できずネットの周りをうろついていた。しかし後衛ではコントロール抜群のショット(テニスではなんていうの?)を打ちまくった。

しかし、今日の晩御飯はびっくりだ。昨日の晩御飯でチキンをボクがうまい、うまいって食ってたら。こいつはチキン好きだと思われたらしく、セシルに食え食えってチキンを強制的に皿にもられた。たけしさんによると毎晩セシルはもっと食えっていっぱい食わしてくれるようだ。

2001/02/28 Wednesday

いつものように登校、朝のおしゃべりのあと、授業開始。1,2時間目は昨日に引き続いてEuthanasiaについての授業。しかしCurrent Eventsのクラスでは、日本は本当に安全な国だなぁ、と実感した。 パイオニアスクエア(シアトルで最も危険と言われる地区。夜に行くととても危険!昼はあまり問題ない。)で殴り合いがあったらしく、重傷者が出たようだ。しかもそれが毎日のようにあるからび っくりだ。

今日の午後はまこちゃんと慶應生のヤスと一緒に市内観光に出かけた。まこちゃんは1ヶ月前からシアトルにいたのでいろいろ案内してもらった。Nike Town, Game Works(シアトルで 唯一のゲーセン),Pike Street Marketなどなど。さらにスターバックスの第1号店にも行った。とてーも地味で田舎の皆が集まって話をするような店で、日本のスターバックスとはかけ離れた店だった。 Game Worksは日本のゲームでいっぱいだった。古いストUもあった。

まこちゃんはシアトルの町にとても詳しく、あの映画館は危ないとかあいつには近づかない方がよいとかね。みんなもこういう町に詳しい人に町を案内してもらおう。

また例のごとく夜はたらふく食べ、マリオテニスに燃えた。マテューの兄、ニコルもやったがめっちゃうまかった。しかもニコルは朝早く家を出て会社に行って、食事は自分で作って食べる(セシルと仲が悪い からではなく、自立をはかるため)、という超多忙な人でゲームを練習する時間はないはずなのに...。アメリカ人はゲームの天才なのかもしれない。

2001/03/01 Thursday

今日の1,2時間目は熱かった。Euthanasiaについてのディベートだったのだが、反対、賛成に分かれたディベートだったのだ。ボクは賛成チームだったのだが、反対チームの南米の女の子 がまぁしゃべるしゃべる。しかも発音が日本人になじみのない発音だから、何を言っているかわからんときは、反論ができんかった。南米系は国民がらよくしゃべるので しゃべりだしたら止まらん。しかし彼女の流暢さはすばらしかった、いやほんとにすばらしかった。南米では会話の教育が充実しているのだろう。しかし文法は日本の方がはるかに上だと実感した。彼女以外の南米人の クラスメートは、時制はすべて現在形(Yesterday I watch ...なんてしょっちゅう)、冠詞なしでしゃべっているひとがほとんどだった。日本人の文法と南米人の流暢さが合わさればすごいことになると思った。やっぱり会話の上達には、とにかくはしゃべることが 重要だとつくづく実感した。

3時間目には大事件が起こった。日本にいた皆さんもご存知だろうが、地震が起きた。関東人のボクにとってはなんともない地震だった(震度も4だし)が、地震を初めて体験する人々が大勢いて、国に 帰りたいと泣き出す女の子もいた。ニール(日本にいる、イギリス人の友達)によると、地震は体験したことがない人にはほんとに怖いらしい。地震はシアトルでは日常茶飯事らしいから覚えておこう。

関東人にとっては何ともない地震だったが、あまりに皆がパニクッてたのでその日の授業は休講となってしまった。よってまた、 まこちゃん、ヤスと市内観光に繰り出した。

マクドナルドで食事をしたが日本が安すぎるのかもしれないが、アメリカのマクドナルドはとても高かった。日本にないチキン何とかバーガーが3.5ドルもした、別に大きさも普通だった。しかーしドリンクの大きさは半端じゃなかった。Sサイズが日本のLサイズの2倍もあるのだ。Lサイズはどんなでかいのかちょっと見てみたかった。でも頼まないほうがいいと思うぞ。

その後市内をぶらぶらしたが町は地震で大騒ぎだった。パイオニアスクエアの建物が崩れたらしく、救急車とパトカーが走り回っていた。あとでその建物をテレビでみたら、 「こんなぼろいビル壊れて当然やん!」ていうほどぼろい建物だった。他の建物はちょっとヒビが入った程度でまったくたいしたことはなかった。野球大好きのボクは、今日こそは とSeattle Mariners Official Shopへ行ったが、なんと地震のため閉まっていた。建物をみてもヒビが入ってるだけでぜんぜん大丈夫そうだった。

帰ってきて両親に電話した。どうも日本では 大げさに取り上げてられてたらしく、かなり心配していた。

2001/03/02 Friday

今日は地震で怖くなっちゃたのか、クラスメートの数が減っていた。金曜はインテンシヴ(午後も授業があるコース)の人々も午後は授業がなかったので、20人ほどの大群で観光に出かけた。1ヶ月以上シアトル にいる人は日本食が恋しいらしく、日本食のレストランに行った。

そのレストランは日本人が経営していて、中のつくりはとても日本ぽかった、メニューにはカツどん、餃子、すし、刺身、そば、うどん、焼き魚などほとんどの日本食をカバーしていた。ボクは刺身どんぶり特上を頼んだ。 魚の味がちょっと違ったけど、ほとんど日本の刺身とんぶりと同じ味だった、しかしサーモンだけは日本に比べて格段にうまかった。産地がきっと近いんだろう、皆さんもシアトルのサーモンをぜひお試しを!

その日はでっかいおもちゃ屋(名前は忘れたがシアトルでは有名らしい)、Game Works, Pike Place Market, Nike Townとさまざまなところを駆け巡った。 そしてついにSeattle Mariners Official Shopに行った。イチローのグッズはとても売れているらしく、店頭コーナーを独占していた。日本では買えない、Official Shopならではのものが売っているので、 この場所は必須である。しかも嬉しいことに、日本製の帽子は入らないボクのデカ頭にあう、帽子を発見!

帰ってきて、明日はボクとよしさんのお別れパーティー+マテューの誕生日パーティーなのでパーティーの準備をした。どうもボクはまったく肺活量がないらしく、みんなが30個ぐらい風船を膨らましてるのに、ボクは4個ぐらいしか膨らませられなく、 激しく息切れして、たけしさんに大笑いされてしまった。

2001/03/03 Saturday

今日はパーティーだ!どうやらこの家では毎週のようにパーティーをやるらしく、朝から大忙し!昼になったらELSの友達が15人ほどやってきて、さらにマテューの友達も5,6人来てさらにセシルの友達も2,3人来たので大騒ぎ!よしさん お手製の味噌汁とバーベキューがとてもうまかった。庭でバスケットをやったり、マリオテニスに燃えた。バスケットのルールがよくわからないボクはバスケットではいまいちだったが、マリオテニスではコントロール抜群だった。

夜になったら、「ラスベガスに行った時の練習」ということでブラックジャックに燃えまくった。燃えすぎてボクは20ドルほど損してしまった!遊びだから20ドルで済んだが、アランに「カジノだったら300ドルは損してる。」と言われた。 この時は良心的なディーラー、アランに感謝だ。ブラックジャックは延々と続き、まこちゃんとかが帰ったあとも燃えまくった。ボクは夜の10時ぐらいで引き上げたが、皆さんは相当続けたらしい。

その夜の寝部屋は恐ろしい状態だった。神谷さんとれいこさんが泊まるということで、れいこさんにボクの部屋を貸し、男4人で1つしかベットのない部屋に寝た。ボクは皆様のご好意で布団をゲットできたが、 神谷さんとよしさんは床に寝ることになってしまった。

2001/03/04 Sunday

朝、よしさん、神谷さん、れいこさんがラスベガスに向けて旅立った。この日にボクの日本で書いた「お願いします」のお手紙が今ごろになって届いたのでびっくりした。電話にしといた方が良かったかなぁ。

この日は前日のパーティーのためできなかった宿題を頑張った。頑張ったと言っても「これもリスニングの勉強だ!」とか言ってバスケやコメディーを見まくった。初めて アメリカのバスケの試合を見たが、とても面白かった、日本のバスケとは 迫力が違った、アメリカ人がバスケ大好きな理由がわかった気がした。コメディーにはブッシュ大統領のそっくりさんが出てきて、ばかなことをやりまっくてて、かなり笑った。アメリカのテレビは70ぐらいチャンネルがあって、 日本よりも面白い番組を見つけやすい。 なんだかんだいって宿題も順調に終わらせたら、もう夜だった。

そうそう宿題でちょっとたけしさんのパソコンを使わしてもらったのだが、そのパソコンはたけしさんが日本からもってきたやつなのだ!ボクは コンセントが違うからつかえないだろうと思ってたが、シアトルのコンセントは日本と同じだった。くっそーボクもマイパソコンを持っていくんだった!

2001/03/05 Monday

朝、ヤスがルームメイトついてかなり文句を言っていた。彼のルームメイトがサウジアラビア人で英語がまったく話せなく(Thank youもSorryも知らなかった)、強引にサウジ語で通してきて、しかもけっこうわがままらしい。 昨日も町に一緒にショッピングに行って、勝手にちょろちょろしてヤスは引っ張りまわされたらしい。しかも英語が話せないのに、強引に値切ろうとして店員を怒らせたらしい。しかも宗教上の理由なのか毎朝5時半に歌を歌うらしく、 毎朝起こされるらしい。たまにバス内でも歌うらしく、一緒にいるヤスも注目の的だったらしい。でもかなり面白いやつらしく、いわゆる「憎めないやつ」らしい。

その日はライアンが休みで、代わりの先生が来ていた。しかしその先生はちょっといまいちだった。その日はまた大学内で無料ビリヤードを楽しんだ。

2001/03/06 Tuesday

朝、ヤスのクラスメートの話を聞いてびっくりした。そのクラスメートはサウジから来ていて、35歳ぐらいらしいのだが、なんと3人も奥さんがいるそうだ。別に不倫をしているわけじゃなく、サウジでは4人まで妻を持てるらしい。 しかもそいつは4人目がほしいと言ってるらしい。そんな状況じゃサウジじゃ未婚の男がごろごろ余ってるんだろうなぁ。

今日は一日にライアンが復帰した。どうやら風邪だったようだ、やっぱりライアンはいい先生だ。3時間目のSpeechクラスで、今日はボクのスピーチの番だった。ボクは「男と女の脳の違い」を話した、そしたら大うけだった。ボクは「地図の読めない女、話を聞かない男」に基いて話したのだが、 ほんとに大うけだった。この本はいろんな人にうけが良かった。ほんとに面白いので皆さんも読んでみてはいかが?

4時間目ではまたもやパイオニアスクエアでの暴動の話をした。どうも先週の金曜日、大暴動があり、女性が殴られているところを止めに入った、男が殺されてしまったらしい。そのほかにも2人の死者と大量の負傷者が でたらしい。しかも警察は他の仕事に忙しく、暴動を止められなかったと語っているが、真相はあやしいものだ。

2001/03/07 Wednesday

ヤスのルームメイトは困ったものだ。朝そいつとヤスはバスで一緒に登校しているのだが、「新ルートを発見した」とか言ってヤスにその新ルートを強引に案内しようとしたらしいのだが、途中で「わからなくなった」といって、泣きそうな顔をしていたらしい。 結局、ヤスが人に聞きまくってなんとかたどり着いたらしい。でもサウジから来る人って面白くて、憎めないやつが多いんだよね。

4時間目に「えひめ丸」沈没の話をしたのだが、森さんの「かけゴルフ」の話は皆さん知っていた。日本人としてどう思うかと聞かれ、とても恥ずかしかった。しかも超低支持率の話もしっかりとアメリカの新聞に載っており、またもや「やれやれだぜ」って感じ だった。

午後は例によってまこちゃん、ヤスと町に繰り出した。アメリカのSubwayにいった、日本ではパンは2種類(現在は3種類)だが、アメリカは5種類もあった、しかもチーズが2種類あった(日本は1種類)、野菜もたしか15種類ぐらいあった気がする(日本は6種類)。 またボリュームがすごい!Lサイズを頼んだら、ほんとにでかかった。日本のSubwayの感覚で頼んだのが 間違えだった。皆さんはMサイズ1個とポテトぐらいでいいと思うよ。しかし、日本よりうまかったし、日本よりはるかに安かった(日本のSubwayが高すぎるって話もあるんだけどね)。自称ファーストフード研究家として、ぜひアメリカSubwayが日本に来てほしい!

さらにスターバックスにもいったのだが、絞りたてのジュースがすごくうまかった。コーヒーはうまいのもあったが全体的にまぁまぁだった。シアトルはスターバックス発祥の地だけあって、日本のセブンイレブンやマクドナルドより多いぐらいにそこらじゅうにあった。 また今日はヤスのIDカードを作りに行った。トラベラーズチェックを使う際にこれがあると、パスポートを持ち歩かなくていいからとても便利なのだ。しかもまたそのIDがかっこいい!!ボクはトラベラーズチェックを使わないけど、記念にほしかったぐらいかっこよかった。 それと比べると日本の免許はださくてしょうがない。

その夜はよしさんがラスベガスから帰ってきた。なんと300ドルも儲けて帰ってきた!さすがよしさん!ラスベガスは信じられないほど素晴らしいとこだったらしく、「絶対行った方がいい!」と興奮気味にいっていた。今度アメリカ来た時は絶対行きたい!

2001/03/08 Thursday

今日の1,2時間目の授業はフリーダムスピーチについて話し合った。アメリカではこれが大問題らしく、発言の自由がどこまで守られるべきだというのは非常に難しい問題なのだ。歌や本が代表的で芸術的、文学的にはとても優れているのだが、その内容があまりに非人間的で (例えば、恋人を抹殺せよとかいう言葉が入った歌とか)、大きな問題になっているのだ。

午後はまたまた、まこちゃん、ヤスと市内観光。宇和島屋という日本物が売っている、デパートに行ってきたのだが、まぁ見事に日本の製品がそろっていた。ベビースター、柿の種、おーいお茶、リポビタンDとなんでもあります、って感じだった。しかしさすがに 輸送費がかかるらしく日本より2倍以上の値段で売っていた。宇和島屋で食事をしたのだが、またまた量が多い!昨日のSubwayもハンパじゃなかったが今日のほうがすごかった。とてもじゃないが食べきれなかった。味は良かったんだけどね。

さらにセーフコフィールド(シアトルマリナーズの本拠地)にも行ってきた。外観は新しくとてもきれいなのだが、どう見ても球場には見えなかった、なんか奇妙な要塞っぽい雰囲気を漂わせていた。セーフコフィールドのOfficial Shopにも行ってきたのだが、これが この前行ったOfficial Shopより10倍以上大きかったし、品数も豊富だった。Shit!こっちに先に行っとくべきだったなぁ。みんなマリナーズグッズは絶対セーフコで買おう!その店に行ったら大歓迎されてしまい、クレジットカード見せたらイチローと同じ名字だ、と言われ 質問攻めにあった。

2001/03/09 Friday

今日がボクのELS最終日。あまりに楽しいひと時だったので、まだシアトルに来て2日ぐらいしか経ってない気分だった。今日はたけしさんの買いたての車で学校に行った。やっぱりはやい!いつもはバスで1時間かかるところが20分で着いてしまった!つくづく思うがアメリカは車がないと 生きていけないよ。

最後にみんなとメールアドレスを交換して、別れの言葉を交わした。帰りもたけしさんの車に乗せてもらって帰った。帰りにたけしさんの車のオイル交換をしにガレージによった。そこで車が「オイルが漏れ、どっかにヒビが入っていてひどい状態だ。」とか言われた。しかし たけしさんはその車をつい2,3日前にかったばかりでそのとき違うガレージで点検をしてもらったばかりなので、それはかなりうさんくさかった。おそらく修理代を騙し取ろうとしたのだろう。アメリカで車は必需品だがこういうこともあるので気をつけよう。

その日は夜に、セシルがバスケの試合に連れて行ってくれた、バスケにはまったく興味がなく、ルールもほとんど知らなかったのだがめっちゃおもろかった。アメリカでは日本と違って必ずホームチームを応援するという習慣があって、ホームチームが活躍すると大歓声。きわどい判定が ホームチームに不利な判定だと、審判にいっせいにブーイング。この一体感がなんともいえず素晴らしかった。

しかし残念なことにシアトルソニックスは負けてしまった。なぜかっていうと相手チームトロントの15番がすごすぎた!そいつにボールが渡ったら最後、1人や2人のディフェンスではまったく役に立たず、華麗なドリブルであっという間にディフェンスをかわし正確なシュートで点をとりまくる。 ドリブル突破が不可能な時は隙を見つけてスリーを決めるし、マークがきつくなると絶妙のパスで最高のポストプレイ。このバスケ素人のボクにもそのすごさは十分良くわかった。

その後、セシルが中華レストランにつれっていってくれた。しかしそこのウェイターのひどい発音にはびっくりした。元中国人らしいが最初は英語を話してるとは思わなかった。しかもそのウェイター3回も注文と違うもん持ってくるし。セシルはそのウェイターと友達らしいが、 「私が店長だったら、あなたクビよ。」って言ってた。

2001/03/10 Saturday

今日はシアトルとお別れの日。とても短く、人生で最高と言っても過言でないほど充実したときだった。日本での暮らしがまた始まると思うと、とても憂鬱な気分になった。たけしさん、よしさん、セシル、ダニエルとメールアドレスの交換をした。別れの挨拶の時、 強い女性だと思っていたセシルが泣いてしまった、ボクは別れには強い人だと自分では思うが、このときばかりは泣きそうになった。今度アメリカに来た時はセシルの家に顔だけでも出していくか。

たけしさんに車で送ってもらい、よしさんと一緒の便で俺は日本に向かった。最高に充実した、最高の2週間だった。今年の夏も絶対アメリカにいくぞ!